Ferintosh
スコッチの歴史を辿れば、誰もが必ず「CullodenのDuncan Forbes」と「Ferintosh」という名称に出会う。スコットランドのウィスキーに関する最古の文献はゼネラル・レジスター・ハウスに保管されている王室の出納記録(1494年)であるが、文献上名称が特定される最古のウィスキー蒸留所はフェリントッシュである。多くの歴史家やウィスキージャーナリストがそれぞれフェリントッシュについて記しているが、知られざる部分も多いようだ。
Tolquhoun Castle Culloden House
  カローデンのフォーブス家の初代ダンカンは、アバディーンシャーにあるトルクホン城の7代目領主ウィリアム・フォーブスの弟ジョンと妻エリザベスの間に生まれた。インバネスの市長も歴任した彼は1626年カローデンに広大な領地を所有した。その後フェリントッシュにも領土を所有し息子ジョン(2代)の時代に蒸留酒(アクア・ヴァイティ)製造のライセンスを取得。そしてジョンの息子ダンカン(3代)がフェリントッシュ領地にある蒸留所で生産されるアクア・ヴァイティ(後にウィスキー)の品質の良さをスコットランド中に広めた。1760年代フォーブス家は蒸留所を拡張し、フェリントッシュに三箇所の蒸留所を増設し躍進した。しかし1784年税務局の規制が強化され、1689年以降フォーブス家が受けてきた免税特権は、他の業者の不満解消のため取り消しとなった。その後フォーブス家の蒸留所は1785年に閉鎖された。7代目の領主アーサーが45歳のころと思われる。
Duncan Forbes 1st Laird John Forbes 2nd Laird
Duncan Forbes 3th Laird Arthur Forbes 7th Laird
当時フォーブス家が所有していたフェリントッシュの領土は6500エーカーと言われブラック・アイルのConon Bridge東方にある。第一の蒸留所はライフィールドにあり、1689年以前からの操業で中心的存在であったと考えられる。増設した第二から第四の蒸留所はいずれもライフィールドの近くのガローヒルとムハイヒにあった。ガローヒルはライフィールドから1マイル南東にあり現在は牧場でL字型と二つの四角形をした建物の基礎が残っている。ムハイヒはライフィールドから1マイル東で15代ダンカン氏の妹夫妻の住居があり、近くの野原には規模が大きかったと思える建物の基礎が3箇所ある。残りの1箇所は同じくムハイヒにあり現在は牧場となっている。ここも規模の大きめな建物と思える基礎が残っている。
   
   Gallowhill of Ferintosh    Mulchaich of Ferintosh
  名声を得て、その名をとどろかせていたフェリントッシュの蒸留所。にもかかわらず閉鎖に至った背景にはどのような理由があったのだろう。Customs Dutyという免税特権の解消だけがその理由なのだろうか。ウィスキーをこよなく愛したスコッランドの国民的詩人ロバート・バーンズもフェリントッシュ蒸留所の閉鎖を哀しんでいる
       
Ryefield House Ryefield House
Sequoia Wall Garden
現在のライフィールドには7代目のアーサーが1771年に建てた住居があり、15代目のダンカン・フォーブス夫妻が住んでいる。広大な庭には樹齢百年を超える木々やウォール・ガーデンがあり、林の中にはひっそりと17世紀フェリントッシユ蒸留所時代の建物がある。母屋の裏のガーデンからはクロマティー湾や標高1045mのベン・ウィヴス、ディングウォールの町並みが一望できる。
The structure of the 17th century The structure of the 17th century
The back garden of the main building The view of Ben Wyvis
フェリントッシュとは元々教会区の地名だが、現在私が所有する地図で1801年のもの以外にその名称が記載されたものは無い。しかし始めて現地を訪ね「Ferintosh」の道しるべに出会ったとき、私は古の造り手たちの呼び声が聞こえたような気がした。「おーいっ、こっちだぞー」と手を振っている。そしてそれは「Ryefield」を示していた。
The signpost of Ferintosh Woods of Ryefield
度重なる取材にいつも温かく迎えてくれ、通常では辿り着けない場所まで案内をしてくれるダンカン氏に心から感謝の意を表したい。そしてフェリントッシュに素晴らしい友がいることを誇りに思う。友情の証に日本から持っていった花の苗が育ち、フェリントッシュに毎年大きな花を咲かせてくれることを夢見たい

堀内 貞明


フェリントッシュ周辺の蒸留所

フェリントッシュとは元々教会区の名称でブラック・アイルのConon Bridge東方にある。当時フォーブス家が所有していた領土は6500エーカーと言われていた。18世紀ブラック・アイルには小さな蒸留所が29ヶ所ほどあった。フォーブス家の蒸留所が閉鎖された後も、テイナヒンチ(1814年〜1828年)やブレラングウェル(1826年〜1843年)などがフォーブス家代々の名声のもとでフェリントッシュ・ウィスキーとしての操業を続けた。しかしそれらも1840年代には全てがなくなってしまった。現在それらの中の一部は農家として名称を今に伝えている。当時蒸留酒製造上のフェリントッシュ地区とはブラック・アイル全体を言っていたと思われる。その後1879年ディングウォールに別称ベン・ウィヴスとして有名なフェリントッシュ蒸留所が設立された。
Braelangwell Farm Ferintosh(Ben Wyvis)Established In1879
協力: Duncan Forbes (15th Laird)
参考文献: Michael S. Moss and John R. Hume “The Making of Scotch Whisky”, Culloden House Hotel “The Forbes Family History”, Misaco Udo “The Scottish Whisky Distilleries”

追加レポート
初めてフェリントッシュに辿りついてから早いもので取材も5年目に入った。すっかり友人となったDuncanは、毎回私のために新たな情報を見つけ出しておいてくれる。彼も私が訪ねて以来、自分の家の歴史をかなり調べたに違いない。1760年代フォーブス家が増設した3箇所の蒸留所跡地も広大な所有地から見当をつけた。そして私とダンカンは3年かけてその場所にある建物の跡(foundation)を撮影した。

今回はその中のひとつMulchaichに再び行き、彼が新たに見つけたファンデーションを撮影した。この建物跡(Foundation)は傾斜の上にあり、3階層のフロアから成っている。このフロア差は何かしら重要な意味を持っていたに違いない。以前撮影したファンデーションと合わせると、ここには3つの建物があり、当時の蒸留器のサイズからすると、比較的広い蒸留所であったことが推測できる。
Mulchaich three-tiered floors(from side) Mulchaich three-tiered floors(from top)
実は今回の訪問にはもう1つ大きな目的があった。昨年の暮れダンカンからビックなプレゼントがあった。当時のボトル(おそらく1700年代)が見つかったという連絡である。フェリントッシュに関する資料が少ないなか、これが事実だとすれば貴重な発見であり私の気持ちはフェリントッシュへと飛んだ。
The structure of the 17th century The structure of the 17th century
残念ながら海外の親戚にあるそのボトルはまだフェリントッシュに届いていなかったが、写真のコピーを撮らせてもらった。ボトルのサイズは現在問い合わせ中だが、中央には「CULLODEN」の文字が入った円形の硝子板が付いている。当時Duncan Forbesの本拠地はCullodenであるからであろう。

堀内 貞明

COPYRIGHT©2004 Pub Mahorobi. All rights reserved